日本人に生まれて、まあよかった

2019年8月18日、今年度の夏季休暇が終了。

 全10日間の休暇において家族全員でのお出かけは無かったのですが、比較的、各々満喫出来たのではないでしょうか。妻と子供たちは映画や友人達とのコミュニケーションを満喫した一方、私は読書と運動三昧。なかなか読めずに溜まっていた5冊を読破し、6日累計100kmを走れたのは実に気持ちよかった。今回のような長期連休において、家族サービス≒皆で一緒、ということを強いないでくれた妻には心から感謝しかありません。感謝。感謝。

 さて、今日は、平川祐弘(著)「日本人に生まれて、まあよかった」について、数年前に述べた感想を改めて掘り起こしたい。

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 著者が82歳で本書を執筆されたことには何とも頭が下がる。内容からして一部から批判も多いと思うが、誰に媚びること無くご自身の考えを示されている。様々な意見はあろうが、著者の本書での意見を踏まえて様々な議論が広範に可能であろう。各章に沿って感想を述べる。

 著者は、序章「日本人に生まれて、まあよかった」で幾つかの問題点を提起している。朝日新聞のみの定期購読者など、一部のインテリで自国批判をする人が増えているとの指摘。言論の自由があり治安が良いが、国際社会の中で相対的にその輝きを失いつつある現在の日本。世界にモテない日本人の増加、などである。世界にもてる、世界に通用する人材の育成が本書の主題であると著者は述べているが、本書における著者の提言について先に感想を述べると、同意できる部分は多々あるが、更に思うところもあり、その点についても後段で少し触れる。

 一章「国を守るということ」で著者は、現在の首相である安倍晋三氏は「戦後レジームからの脱却」をかねてより標榜してきた。東アジアの国際政治や軍事情勢の高まりを踏まえ、自覚的に自国の力を総合的に強めねばならない。そのためには1946年憲法体制のままでは不測の事態が生じかねないのに、なぜか内外の人は戦後レジーム脱却後の将来に不安を抱き非難の声をあげる。理由は多くの日本人が日本の現状を、転換せねばならぬほどに感じておらず、高齢化が進む日本は保守的傾向を強め現状維持的になっていることである。また、日本は島国という不可侵的地理的優位があるが、その地理的位置から生まれた日本の安全性は、今や交通手段や武器輸送手段の急激な発達により失われつつあり、日本が外的に侵入される可能性があるという事を考える必要がある。と指摘している。

 今の日本人は平和ボケしており、現実を正しく理解し、現状の課題に対する打ち手を考えるという事が出来ていないという著者の指摘は、まさにその通りであろう。日本国民はもっと国際感覚を磨くべきである。著者はスイスのように積極的武装中立、積極的平和主義を推奨しており、敗北主義的平和主義を払拭し、国民に日本人としての誇りを抱かせることが教育の再生であると述べている。私見としてはスイスの姿が、これからの日本が目指すべき姿なのかは議論の余地が多いと考えるが、人を見極め、情報を見極める能力を磨き、大衆に迎合すること無く、自らの信念に従い、主体的に提案し、有事の際に断固対抗する能力、国民の意識を高めていくことが必要であるとの考えには同意である。ゆるぎない現実として、竹槍では国は守れないのである。

 二章「本当の「自由」と「民主主義」」では、著者は「自由」と「民主主義」を尊重する日本という事を内外に繰り返し主張する事、それが実感として世界の人々に知られる事が大切であると述べている。確かに自由な言論が出来ない中国であっても日本の悪口は自由に言えるという現状があり、プロパガンダによる民衆の意識誘導も国家規模で大々的に行われている。日本を仮想敵として国民の結集を図ろうとしている事も明らかである。しかしながら、悪い国に移民する人はいない。中国から日本に嫁ぐ女性がいるのにその逆は少ないという現実もある。規制されているとはいえ、ネットワークが世界を繋ぐ現代社会において、中国国民も少しずつ、本当の姿が見えて来つつあるのではなかろうか。但し、そのような希望的観測に頼ることなく、積極的に内外に発信していくことは必要であると思う。

 著者は、自由民主主義国家としての日本を世界に知らしめるために、亡命者の受け入れ態勢を整えることが大事であるとも述べているが、この点については、その制度設計について議論の余地が大きいと考える。日本がこれから先どのような姿を目指すのか、経済国家なのか、文化国家なのか、はたまた軍事国家なのか。目指すべき国の姿を考える事が先決であり、拙速な亡命(移民)受け入れは、社会の混乱を引き起こす可能性があり、十分な検討が必要である。

 三章「戦後日本の歴史認識をただす」では、戦後の日本人の自虐史観の是正が必要であると述べている。日本をよく知る一部の西欧人は、日本を一方的に悪玉と断罪するのは間違っていると認識しており、連合国は自分たちで作り上げたプロパガンダを自分たちまでも信じ込むようになった。西洋人の日本理解はもっぱらナチスドイツの類推で行われており、積極的に戦争の道を選び組織的にユダヤ人虐殺を行ったナチス指導者と同様に日本の政府主導者を裁いたことはばかげたことであったと述べている。

 様々な意見があろうが、戦前から戦後、各国はプロパガンダ、ハイブリットウォーを強めているのに対して、日本はその領域で全くもって力が弱いということは否定できない事実であろう。今後、その点については、是正が必要である。しかしながら、自己保身的な情報発信は日本人の美的感覚にそぐわない。客観的事実に基づく論理的な主張を徹底すべきであり、その点において、日本に批判的な近隣国と同列であってはならないと考える。

 戦争における罪に対しての批判は受けるべきであるが、結果的に西欧諸国によるアジアの植民地支配を開放したことは事実であろう。事実、台湾においては、1988年以降に李登輝政権下で自由な言論が可能になると、日本による台湾統治の功罪の功の部分に対する意見も出てくるようになり、日本に対する評価が徐々に変化し、現在のような比較的良好な両国関係を築いている。ただしその台湾における統治の成功が、朝鮮ではその文明や民族の誇りを奪った事による統治失敗の一因であると指摘している。類似の行動であっても、受け手によってはその反応が異なるという一例であろう。相手によって結果は変わる。教訓とすべき重要な一例である。

 四章「生存戦略としての外国語教育」では、「文化の三点測量」の出来るエリートの形成が必要であると述べている。母国語に加え外国語を学ぶと知識が点から線となり、第二外国語を加えると面となり、第三外国語を加えると立体的になるとの提言である。確かに、国内外の人達と様々な議論を行い、自分の位置を複眼的に認識したうえで、物事をきちんと見定めることは非常に重要であるし、そのうえで相手の言葉を使い、上手に反論できることが尚望ましいことは頭では理解できる。しかしながら、そのような人材をいかに育成するか、育成し得るかは、大きな課題である。著者はその人材の育成に関して、五章「世界にもてる人材を育てる」において一つの提言をしている。

 著者は、全員大学入学という近年の一部の主張は「全部の列車を各駅停車にする。それが民主的で公平である」というに等しい愚策であると断言している。提言として、少数精鋭のエリート校を作り、優秀な人材を学寮に集め、生活を共にさせ、互いに切磋琢磨させること。落第と飛び級の復活。能力にあったスピードで授業を進めること。能力別の教育を国の方針として定めること。などを挙げており、参考として、フランスのグランゼコールという教育体系をあげている。(日産のカルロス・ゴーン氏もグランゼコール出身である。※その後の顛末は悲しい限りではあるが。。)英才教育という点では、英国のパブリックスクールなども参考の一つになろう。

 一提言としては非常に興味深くポジティブに議論したいところではある。しかしながら参考となるフランスや英国の例があるので、その功罪についても十分に見極めたうえで、日本におけるエリート教育の制度設計について議論を深めるべきである。また、エリート学生の育成についての議論だけに留まらず、社会人となってからの更なるトップエリートの育成についても官民共に議論を深めることが必要であろう。単に特権階級を生む欧米的なエリート育成では無く、日本人的な価値観を伴う制度設計が望ましいと考える。選ばれた者は、選ばれたものとしての使命を負い、職に全身全霊をかける。古臭いかもしれないが、そのような日本人的な人材育成についても議論しても良いのではないか。

 終章「「朝日新聞」を定期購読でお読みになる皆さんへ」では、節目節目で国民をミスリードしてきた朝日新聞を名指しで批判し、そのような単眼的な物のとらえ方と、それのみを盲信する者を批判している。私見としては、例えば批判的な近隣諸国の一意見の代替としてとらえるには良い検討材料であろうと考える。ただ、それのみを盲信する人々には確かに問題があり、様々なアプローチを通して、複眼的な捉え方を促す必要があるであろう。

 また著者は、西洋本意の価値基準の押しつけにも異を唱えている。例えばグリーンピースの日本の捕鯨への批判についてである。この点は個人的にも強く同意するところである。小生は1973年に熊本で生を受けたのだが、小生が小学生くらいの頃までは近所のスーパーに鯨肉が普通に並んでおり、「おばけ(鯨の尾の皮の湯引き)」なども酢味噌で好んで食していた。

 西洋、東洋、イスラム、その他各国、文化や宗教なども異なり、食文化も様々である。各々の立場で各種意見があることは理解するが、グリーンピースのような暴力的な主張については著者と同じく不快感を憶え、理性を持った対話を望む。余談ではあるが、著者のこういったコラムを打ち切らず、最後まで掲載したのが、小生の地元である「熊本日日新聞」であったとの事実を嬉しく思うところである。

 真に自由な言論が許されず、品の無い主張や行動を繰り返す近隣諸国、不幸にも国内外で争いの堪えない諸外国などを見るにつけ、「日本人に生まれて、まあよかった」という本書の題名に、同意する気持ちを否定できない。将来、これから社会を支える若者や子供たちの多くが同じように日本に生まれたことを幸せに思う、そのように感じられる日本を今後も残すために、今、私たちに何が出来るのか考えていきたい。

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以上は2年前に確かに感じた事であるのですが、現在読み返してみたら、同じように感じるかは不明です。今日現在思うのは、内容の良し悪しでいうと、善いものに触れるほうがもちろん良いと思うのですが、読書を通して様々な考えに触れるという学びには非常に奥深いものがあると思います。子供達にも進めるところであるのですが、若い人の多くに、本を読むことをお奨めしたい。

2019年8月18日


HINATA-BRIDGE Website

今のような状況から抜け出して日のあたる場所で暮らしたい。そんな思いで18歳で単身上京した。早いものでそれから二十数年が経過。妻と出会い、3人の子供に恵まれた。沢山の方の助けも貰いながら、多少なり日のあたる場所に居場所を築けたように思う。今度は私が「向こう岸である日向への懸け橋」になれればとの想いから、”HINATA-BURIDGE”として記録を残していければと思う。

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