武器としての決断思考

今日は台風一過、とにかく暑かった。その中16km走って軽い脱水症状気味です。

京都大学客員准教授で『武器としての決断思考』などの著書で知られる瀧本哲史さんが今月お亡くなりになったという記事を目にしました。お会いしたことは無いのですが、年齢も近く、衝撃をもって受け止めました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

東大法学部卒、マッキンゼーに転職、その後独立、京大客員教授、エンジェル投資家、等々、華々しい経歴の方でありますが、瀧本さんの伝えてこられた価値、本質は、そういった表面的なものを超えていると感じます。言葉の端々や実際の活動から、熱量を感じるからです。

今から数年前、数名の部下を持つマネージャーだった頃、お客様から幾つかのお言葉を頂戴する事があり、部下のコミュケーション能力の向上を如何にして実現するかと思案したことがありました。

本来ならば1対1で一人一人に応じたアドバイスなど出来ると良いという思いもあったのですが、さすがに時間的に追いつきません。その時に思い立ったのがチームでに簡易ディベートです。その時に参考にさせて頂いたのが瀧本さんの著書でした。

当時、御用聞きの営業スタイルを崩せないメンバーも多く、自らのポジションを取って意見するという事が出来ないメンバーも多くいました。

理想は、仮説としての主張があり、それに対する反論があり、その先に弁証法的な新たな解決提案が生まれるということの繰り返しで、よりよい形に進化していけると良いのですが、実際はその何歩も手前で足踏みをしている状態でした。

ひとまず、週次ミーティングにおいて、進捗共有以外に、簡易ディベートを行うことにしました。

次週のテーマをメンバー持ち回りで決めてもらい、肯定側/否定側に分かれて主張してもらうのです。例えば「成人年齢を18歳にすべきか否か」といったものも一つのお題として取り上げたこともありました。

時間も限られるので反駁まではしないことにしたのですが、肯定側は①内因性、②重要性、③解決性、を主張し、否定側は①発生過程、②深刻性、③固有性を主張します。テーマ選定者が、双方の主張を聞いたのちに、主観でどちらに賛同かをコメントするというスタイルで実施しました。

試行錯誤、最初はしっくりこないところもあったのですが、継続は力なりというべきでしょうか。半年もたつと、メンバー皆、それなりに形になってくるのです。主張の端々に何かしらのエビデンスもはさみながら、それっぽい主張を言うメンバーが増えてきます。期待以上の結果として、客先の評判も落ち着いて来たり、社内での評判もそれなりに認められてくるのです。もし、同じような悩みを持つ方がいれば、試してみても良いのではないかと思います。

さて、「武器としての決断思考」を久しぶりに読み返してみました。本書の最後に瀧本さんは、「最後の最後は主観で決める」のだと述べています。

その人の生き方、哲学をもって「自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていく」

という事が大事なのだという言葉を、今一度しっかりと噛み締めたい。

2019年8月17日


HINATA-BRIDGE Website

今のような状況から抜け出して日のあたる場所で暮らしたい。そんな思いで18歳で単身上京した。早いものでそれから二十数年が経過。妻と出会い、3人の子供に恵まれた。沢山の方の助けも貰いながら、多少なり日のあたる場所に居場所を築けたように思う。今度は私が「向こう岸である日向への懸け橋」になれればとの想いから、”HINATA-BURIDGE”として記録を残していければと思う。

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